1825年に開通したエリー運河のおかげで、港は東海岸からの財や人々の通路の末端と中西部へと荷の積み替えの入口を務め、加えて1842年にはジョセフ・ダート(Joseph Dart)とロバート・ダンバー(Robert Dunbar)によるカントリーエレベーター(grain elevator)の発明により穀物の流通が盛んなとなり、バッファローは港に支えられた金融と商業の中心地に成長しました。1958年にthe St. Lawrence Seawayが開通し、それがバッファローを迂回する原因となり、港に船の行き来が少なくなりました。
1950年代後半には、エリー運河だったところに高速190号線が敷かれ、運河最終地点も埋められてしまいました。
保存維持を願う市民の運動が適えられ、運河の最終地点だった場所が掘り起こされました。当時の船着き場や倉庫の土台が発掘保存され、今は市民や観光客に当時の様子が分かりやすく表示され、観光名所の一つとなっています。
夏には毎日のようにコンサートやイヴェントが行われ、毎年400,000人がバッファロー、全米、カナダから訪れています。
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