フレデリック ・ロウ・オルムステド(Frederick Law Olmsted, 1822-1903) はアメリカの景観設計者の父と見なされています。オルムステドは一人でパブリックとプライベートの両方の公園デザインをしただけでなく、他の建築家、特にカルバート ・ヴォークス(Calvert Vaux, 1824-1895)と多数の共同製作をしました。
オルムステッドがバッファロー市を訪れる要因となったのは、ウイリアム・ ドウシュハイマー(William Dorsheimer, 1832-1888))の招きによります。 当時バッファローの著名な 弁護士であったドウシュハイマー は将来の下院議員を有望視されていました。 彼は家の設計をアメリカ建築家リチャードソン(H.H.Richardson, 1838-1886)に依頼したけでなく、 バッファロー市に壮大な公園設計上のアドバイスを得る為に、 オルムステッドをセントラルパークの完成後の1868 年 8 月 12 日にバッファローに招待しました。ドウシュハイマーの家は今日もデラウエア通りに存在し、国の歴史登録財に表示されています。
オルムステッドの多作の作品には、ニューヨーク市マンハッタンのセントラルパーク、ブルックリンのプロスペクトパーク、ボストンのエメラルドネックレス、ノースカロライナ州アシュビルのビルトモア ・ エステート、ニューヨーク州ニューバルグのダウニングパーク、そしてバッファロー市のパークシステムが含まれます。
このバッファロー市のパークシステムはアメリカで最初に作られたもので、またいくつかのパークシステムの中で唯一完成されたものです。
バッファロー市に1870年から1875年にかけて設計完成された公園は、デアウエアパーク、フロントパーク、パレードパーク(現在のマーティン・ルーサー・キング、ジュニアパーク)です。これらの公園は、 パークシステムといわれているパークウエイ(両側や中央分離帯に樹木を植えた通り)で繋がれています。1960年にはパレードパークに繋がるパークシステムが高速道路建設の為になくなりました。
オルムステッド景観設計事務所(オルムステッドの息子も加わって)は1885年から1900年にサウスパーク、カゼノヴィアパーク、リバーサイドパークを設計しました。
オルムステッドの公園設計の目的は、自然と人間との繋がりを考え、公園が一年を通して人々にレクリエーションや運動の場を与え、周囲の地域社会に貢献する事です。
オルムステッド公園協会のホームページ: https://www.bfloparks.org
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